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岡山立正青年会 ブ ロ グ

4月8日 花まつり

 お釈迦様は今からおよそ2500年前のインドで、浄飯王(じょうぼんのう)と摩耶(マーヤー)夫人の間にお生まれになられました。摩耶夫人が出産の為に故郷に帰られる途中の4月8日にインドのルンビニー園にて誕生されました。その時たくさんの花が咲き、空から産湯代わりの甘露の法雨が降ったとされます。


 お釈迦様はお生まれになってすぐに7歩、歩き右手で天を、左手で地を指さし「天上天下唯我独尊」と言われたと伝えられています。このことからお釈迦様の降誕祭の事を「花まつり」といわれるようになりました。


 毎年4月8日は寺院で春の草花を飾った花御堂を作り、法要を行い、右手で天を、左手で地を指さした誕生仏に甘茶をかけてお祝いします。そして参拝された方はお寺で作った甘茶をお土産として持って帰ったりするようです。


IMG_5568.jpg



 去年から引き続き新型コロナウィルスの影響がまだ収まることがなく生活に多大な影響が出ています。1日も早くこの状態が良くなる事をお祈り致します。


文責:濱田恵康
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  1. 2021/04/08(木) 22:58:03|
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成道会

お釈迦様のご生涯には、8つの重要な出来事があると言われています。
その1つが成道(じょうどう)です。


成道という言葉はあまり聞きなれないと思いますが、
お釈迦様が悟りを開いたことを言います。

成道会(じょうどうえ)とは、お釈迦様が悟りを開いた12月8日に行われる法要のことです。


お釈迦様は出家を志してから6年間苦しい修行をなされました。
そして苦しい修行が悟りを開く道ではないことがわかりました。

その後、近くの川で身を清め近くの村で食事をいただくと菩提樹の下で瞑想に入り、
あらゆる煩悩を退けて悟りを得ることができました。
成道PNG

私たちの人生の中でも苦しく辛い場面があると思います。
そこで絶望するのではなく、一度周りを整理して心身共に落ち着けてください。
また、違うものが見えてくると思います。


文責 村岡錬孝
  1. 2020/12/08(火) 08:31:28|
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11月11日 小松原法難

11月11日は、日蓮聖人の御生涯における「四大法難」の1つ「小松原法難(こまつばら ほうなん)」が起きた日です。
 小松原法難は日蓮聖人および弟子信者10余名が、安房国東条郷の松原大路(現在の千葉県鴨川市広場付近)において、
東条景信らの襲撃を受けた難であり、「東条法難」とも呼ばれます。



目次(各見出しへ飛びます)
1. 法難までの経緯
2. 法難
3. 法難の後
4. 日蓮聖人は小松原法難をどのように捉えたか
5. 最後に


                       

1.         法難までの経緯
  日蓮聖人は、鎌倉、畿内での御遊学を経て、建長5(1253)年4月28日に故郷安房国東条郷にあり、
出家・得度の地である清澄寺において、「念仏と禅宗の流行が、諸経の王たる法華経の教えの弘まり
を阻害している」と非難するとともに「法華経、御題目の信仰」を主張しました。
 しかし聖人のこの主張は、集まっていた念仏信者たちの怒りを買い、その筆頭が東条郷の地頭で
あった東条景信(とうじょう かげのぶ)でした。

 日蓮聖人は、信者である〔領家の尼〕の領地を東条景信から守ったこともあり、
東条景信の聖人に対する怒りはかなり大きかったと考えられます。
 東条景信らの反発と、危害を加えられる可能性にさらされた日蓮聖人は、清澄寺を追われることになります。
 
 清澄寺を追われた聖人は、鎌倉を中心に布教活動を行ないますが、鎌倉でも念仏信者の反発にあいます。
そして幕府によって捕らえられ、伊豆へ流罪となります。

 弘長元(1263)年に流罪を赦免された聖人は、翌文永元(1264)年にお母様を見舞われる為に
東条郷へ帰郷されたとされています。

 日蓮聖人の帰郷を知った東条景信は、聖人を亡き者とするため動き出します。



 
2.         法難
 文永元(1264)年11月11日の夕刻、日蓮聖人一行は東条郷天津の信者工藤吉隆の館に向かう最中、松原大路にて東条景信の一団の襲撃を受けます。
小松原法難に関する地図:goo.gl/maps/XBPJU1zSucW4WWMG9

日蓮聖人は当時の様子を『南条兵衛七郎殿御書』にて、
待ち伏せしていた数百人の念仏信仰者たちに襲撃され、日蓮の方は自分のほか十人ばかりで、
そのなかでも役に立つ者はわずかに三、四人であった

念仏信仰者たちの射る矢は雨のように降りそそぎ、打ちかかる太刀は雷のように襲いかかった。
弟子一人はその場で殺され、二人は重傷を負った。自分も切られたり打たれたりして命を落すほど危険であったが、
どうしたことか、殺されることをまぬがれて今までこうして生きている。

との記述が残されています。

 討ち取られたお弟子様とは鏡忍房、重傷を負った二人は乗観房・長英房と伝えられています。
さらに救援に駆けつけた工藤吉隆も殉死されました。
 
日蓮聖人も額や左腕を切られましたが、助かり天津の地へ逃れています。

 聖人が助かった理由として殉死、負傷した方をはじめとするお弟子様の尽力はもとより、
法難当日(文永元(1264)年11月11日は現在の暦で12月1日)の夕刻は日が落ちており、
暗闇の中での襲撃となり、場が混乱していた事も、聖人が助かった理由と考えられています。


 
3.         法難の後
天津に逃げ延びた日蓮聖人は翌年に鎌倉に戻られ、更なる布教活動に臨まれましたが、
文永2(1265)年の終りに安房に戻られ、殉死したお弟子様を偲ばれたと考えられています。

 また法難で殉死した工藤吉隆の奥方は当時懐妊しておられ、その後生まれたご嫡子・刑部阿闍梨長栄坊日隆上人は、襲撃のあったとされる場所に「鏡忍寺」を建立し、また天津の居館を父の菩提を弔うために「日澄寺」を建立しました。



 
4.         日蓮聖人は小松原法難をどのように捉えたか
  日蓮聖人は身命に及ぶ法難を『南条兵衛七郎殿御書』にて
『妙法蓮華経法師品第十』に説かれる「しかも此の経は如来のいる現在ですらなお怨嫉(おんしつ)多し、
況んや滅度の後をや」、
『安楽行品第十四』に説かれる「一切世間に怨(あだ)多くして信じ難し」
などの経文に符合するものとし、
ただ日蓮一人だけが真実に読んだ。法華経勧持品に説かれる「わたしは身命を捨てることもいとわない、
ただ真実の教えに生きることこそがもっとも重要である」とはこのことである。
したがって、日蓮はまさしく日本第一の法華経の行者と言えるのである。

と述べておられます。 

また東条景信に対しても『種種御振舞御書』において、
【釈迦如来にとってその敵であった提婆達多こそ仏道を成さしめてくれた第一の人でした。
今の世間を見ても人を立派にするのは、味方よりもむしろ強敵(ごうてき)がその人をよくするものです。
・・・(中略)・・・いま日蓮が仏になる第一の味方は、この日蓮を殺害しようとした東条景信
・・・(中略)・・・もしこれらの人びとがいなかったならば、とても法華経の行者となることは
できなかったであろう
と喜んでいるのです。

と述べておられます。




5.         最後に
   一見自分を害する強敵こそが、最も自分を育ててくれると日蓮聖人はおっしゃっています。

 そして日蓮聖人も法華経を弘める中で、強敵により何度も命の危機にさらされました。しかしそのたびに法華経の修行者として、正しいことをしていると見つめ直されて、降りかかる誹謗中傷にくじけることなく、法華経を弘め続けられました。
11月11日は、法難にあわれた日蓮聖人や殉死されたお弟子様に報恩の御題目を捧げてみてはいかがでしょう。
文責:工藤修也

  1. 2020/11/11(水) 08:00:00|
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御会式

日蓮聖人がお亡くなりになって、今年で739遠忌になります。

御会式とは日蓮聖人のご命日である10月13日にあわせて行われる法要で、身延山久遠寺、池上本門寺をはじめ全国の日蓮宗寺院で行われています。

岡山では旧暦にあわせて11月に行われることが多いようです。

日蓮聖人が晩年9年間を過ごされた身延山、その自然は厳しいものであったと言われております。冬になると屋根の高さまで雪が積もることもあり、食べ物も限られていたため信徒の方々からのご供養に支えられていたことが日蓮聖人が遺されたお手紙からもうかがえます。

そのような生活からか、日蓮聖人は体調を崩されるようになり、常陸の湯(現在の茨城県水戸市)まで湯治に向かわれましたが、道中で体力も限界をむかえ、現在の東京都大田区池上にある池上宗仲邸で息を引き取られることなったのです。

日蓮聖人が亡くなられた際、本来花開く時期ではないにもかかわらず桜の花が咲いたと伝えられ、その故事に由来して御会式の万灯は桜の花を模した紙花がたくさん飾られ、日蓮聖人を偲ぶようになったといわれています。

令和2年 御会式

今年は新型コロナウイルス感染症の影響により、身延山久遠寺、池上本門寺の万灯行列は中止になってしましました。
例年であれば沢山の人で賑わう行事なので残念ですね。

岡山はこれから御会式を迎えます。
日蓮聖人への感謝の気持ちをもって御会式法要を致しましょう。


文責:秋元啓孝
  1. 2020/11/03(火) 08:00:16|
  2. 青年僧のひとこと
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先師法要

10月5日(月)に岡山市南区呑海寺様に於いて「岡山立正青年会先師法要」が執り行われました。

例年であれば、大勢のOB上人にご参列を賜り盛大に行われておりましたが、本年は新型コロナウイルス対策といたしまして、OB上人のご参列も無しにさせていただき、青年会会員の人数を絞り3密を避けての法要を行いました。

先師法要

先師法要においては、内田会長を御導師として青年会会員7名で出仕させていただき、全員マスク着用で法要に臨ませていただきました。

先師法要2

本年は新型コロナウイルス感染症の影響で、大規模な法要など出来なくなっておりますが、
その中で規模を縮小してでも先師に対して法味を供養することが出来て良かったと思います。
法要に出仕された各聖、大変お疲れ様で御座いました。
末筆ではございますが、1日も早く、新型コロナウイルス感染症が終息することを祈願いたします。

文責:高谷観照
  1. 2020/10/05(月) 20:53:40|
  2. その他
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